どうにもならない

どうにもならない人のライフハック

恋人に絶対に喜ばれる誕生日プレゼント

自分は、物凄く気持ち悪い性質をしている。自覚はある。

だが、物凄く根気がないおかげで、その気持ち悪い性質が引き起こすトラブルを、そこそこ回避して生きてこられた(と思う)。

10代の頃、当時付き合っていた人の誕生日に何をプレゼントするか、自分は考えに考えて「一羽一羽気持ちを込めて折った千羽鶴を贈ろう」と思い立った。それで、誕生日の10日前から1日のノルマを決めて、気持ちを込めながら折り始めた。

しかし、600羽ぐらい折ったところで急に面倒になってしまい、結局その人が好きな電気グルーヴのCDを買ってあげて、普通に喜ばれた。

千羽鶴のことは言わずに置いた。

しつこく絵を売りつけてくる人達を100%撃退する方法

就職して間もない頃、自分が働いていた総合スーパーの催事スペースで、ヒロ・ヤマガタラッセンの絵の展示即売会が開催された。

当時、自分は東北から出たことのない純朴な田舎のスーパーの店員であったので、それが気の弱い人に版画を売りつけるための展示会だとは知らず、休憩時間になんとなく暇だったので立ち寄ってしまった。

純朴なスーパーの店員ではあったが、絵を見ている間、ずっとスーツを着た茶髪の男が付きまとって余計な説明をしてくるし、自分がヨドバシカメラで買った2000円の腕時計を「凄いカッコいい時計っすね。お客さん、センスいいですよ!」などと褒めてくるので、大分怪しい展示会だとは感じていた。

自分があまりノリが良くないのに気づいたのか、茶髪の男は「もしかしてこういう絵、あまり好みじゃないですか?」と聞いてきた。 言われて見ればこういう絵は全く好みではなかったので「そうですね、自分はもっと暗い感じの絵が好きです」と答えた。

その瞬間、男は突然ハッとした表情をして見せ、「少々お待ちください!」とテンション高く言うと、奥に引っ込んでいった。 しばらくして、奥から《課長》と呼ばれる、オールバックでごつい指輪をしたおっさんが出てきた。

おっさんは「普段は人に見せないんですが、お客様は特別です」と言って、自分を展示場の隅にある薄暗いブースに連れ込んだ。 そこにあったのは、微妙な感じにライトアップされた、ただ単にモノトーンなだけの、 ヒロ・ヤマガタの版画だった。

それからずっと、その薄暗い場所で「ローンを組んで版画を買え」という話をされたが、自分は「別にこの絵は欲しくないですから」と言って断り続けた。 しかしおっさんは「じゃあ、あなたはどんな絵が欲しいんだ!」としつこく聞いてくる。

疲れて素になっていた自分は、思わず本音で「全裸の女が自分の赤ちゃんをバリバリ食っているような絵」と答えた。

おっさんはそれを聞いて、「あんたみたいなタイプはねえ、一生絵なんか買わないんだよ」と言って出て行った。

それから数年後、自分は結婚してスーパーを辞め、東京で働くことになった。そして上野の美術館で『我が子を食らうサトゥルヌス』という絵を見て「これこれ、こういうやつ!」と思ったのだが、それは売り物ではなかったので、結局自分は絵を買ったことがないままだ。

あの時の自分が会社を辞めなかった二つの理由

1999年、ノストラダムスが予言を外したため、自分は大学を卒業したあと、全国チェーンの総合スーパーで働くことになった。この年はなかなかの就職難で、当時よく麻雀をして遊んでいた研究室の友達の中で、就職が決まったのは自分ともう一人だけだった。

配属されたのは、東北のかなり田舎の方の店舗だった。初日の訓示で事業部の幹部社員が「今年は転換の年や。てんかんゆうても、ひっくり返る方やないで」と100%笑えない冗談を飛ばしたあたりで、ああ、凄いところで働くことになったなと思った。

自分は寝具・インテリア売場の担当になった。主な仕事は品出しと売場作りと接客で、布団を積み上げたりカーペットを積み上げたり見本の家具を組み立てたりお買い上げいただいたソファーを駐車場まで運んだりと、毎日忙しく働いた。

そうして一日12時間ほど肉体労働をしていたのだが、同時に入社した新入社員の半数が半年の間に辞めてしまい、残された社員は一日14時間ほど肉体労働をすることになった。自分はあの頃、時々血尿が出ていた。

肉体的にはつらかったが、働くことは嫌いではないので辞めようとは思わなかった。お客様から「子供が怖がって泣いた」とクレームが来るようなセンスの光る売場を作ったりと、それなりに楽しく働いていた。ただ肉体的には、本当に本当につらかった。

そんなある日、少々頭のネジが外れた大学時代の麻雀友達から、「仕事頑張ってる?」と電話があった。就職をしなかった彼女は卒業後、北関東にある専門学校に通っていたのだが、次の休みに東京に遊びに行く予定だと聞かされた。

ちょうど大売出しの準備中で、仕事中に立ったまま寝てしまうほど疲れていた自分は、「あとで金払うから、渋谷のイラン人から眠らなくても疲れない薬買って送ってくれない?」と一割くらい本気で頼んでみた。

2週間後、友達から「これしか買えなかった。ごめん」という手紙つきで偽造テレカが大量に送られてきた。なぜだかそれが妙に嬉しくて、その後、仕事は精神的にもつらくなっていったのだが、なんとか乗り越えていけた。

別れ話の途中でしてはいけないたった一つのこと

ある時、大きな池のある公園で、自分は当時付き合っていた人に別れ話を切り出されていた。まだ付き合い始めて二か月も経っていない相手で、自分は別れたくなくて、何とか説得しようとしていた。

悪いところは全部直す。もう電話に出るまで何十回も携帯を鳴らし続けたりしない。明け方に包丁を持って部屋に行ったりしないし、借りたお金も返すから。

どんなにこれまでのことを謝っても、相手の態度は頑なだった。ちなみにこの頃、自分は思春期の小太りをこじらせて体重が70kg近くあったので、もしかしたらその容姿も別れたい原因に含まれていたのかもしれない。

だが自分は持ち前の粘着さを発揮して、じゃあ友達としてでもいいから、今までのように部屋で朝から晩まで『ボクと魔王』(PS2RPGだが自分はPSしか持っていなかった)をやらせて欲しいと頼み込んだ。

そうして自分が頭を下げている間、池の方からバッシャンバッシャンと何か大きなものが暴れているような音が、ずっとしていた。

大事な話の最中だが、どうしても気になって見に行くと、池の周りにある杭と杭の数センチほどの隙間に、すっぽりと首が挟まってしまっている白鳥がいた。

暴れるのを押さえつけながら首を外して助けてやったが、何となく話の続きをする雰囲気ではなくなり、そのまま恋人には逃げられた。別れ話の途中に白鳥を助けると、ろくなことにならない。

ロケットを飛ばすために必要なたった一つのこと

大学1年生の頃のこと。 ある晴れた秋の日、当時付き合い始めたばかりだったサークルの先輩のAさんが、 「ロケットを飛ばしに行こう」と誘いに来た。

Aさんは、こういう突拍子もない言動で周りの普通の人に迷惑を掛けるタイプで、自分に輪をかけて頭のおかしい人だった。

サークルの新入生歓迎コンパで、Aさんは胸ポケットにごく自然な様子でバナナを1本刺していて、それは何のために入れているんですかと聞いたら「たまに急にお腹が空くから」と真顔で答えた。コンパの帰り道、大して酔っているふうでもなかったAさんは突然「これ、登れる気がする」と言い残して狂った猿のような動きで道端の電柱に登って行き、サークルの女子達に悲鳴を上げさせていた。

後輩として知り合った自分は「この人は放って置いたらとんでもないことになる」という気持ちからなんとなくそばにいるようになり、そのうち付き合うことになった。しかし、Aさんの奇行は並大抵ではなくて、正直、この時にはもう疲れてしまっていた。

やる気なく「ロケットって何ですか」と尋ねると、Aさんは持っていた空のペットボトルを見せてきた。それに水とドライアイスを入れ、口をゴム栓で塞いで逆さまにして置くと、ロケットのように飛ぶはずだというのである。 その遊びは本か何かで読んだのかと聞くと、Aさんは「自分で考えついたんだよ」と得意そうに答えた。

そんな安全かどうか分からない遊びをさせる訳にはいかない。 当然自分は止めたのだが、Aさんは言うことを聞かず、結局押し切られて大学のグラウンドでロケットを飛ばすことになった。

近くに誰も居ないのを確かめ、ペットボトルを逆さまに設置して物陰にしゃがんで二人で見守った。結構長い時間のあと、「ボン」という音を立て、ペットボトルのロケットは、信じられないくらい高く飛んだ。

その日は本当に天気が良くて、青空に透明のペットボトルが光りながら飛んでいく光景は、なかなかに感動的だった。そして、これまでAさんの奇行を頭ごなしに否定していたことを少し反省した。

しかしその2日後、Aさんが粉塵爆発を起こしてみたいから小麦粉撒くの手伝って」と誘いに来たので、やっぱり甘い考えは捨てることにした。

Aさんとは色々あって、その6年後に結婚した。