どうにもならない

どうにもならない人のライフハック

離婚したいと思う人と夫婦としてやっていく方法【1】

ことの起こり

まずは《離婚の危機》を迎えた当時の状況から書いてみる。

2018年の夏、自分達夫婦は結婚17年目で、小学生から中学生の3人の子供がいた。
自分は中学生の子の弁当を作るために朝は5時半に起きるので、夜は23時頃にはベッドに入る。夫のAさんは仕事が忙しいため、平日は深夜の帰宅になることが多く、あまり会話はなかった。
たまにAさんが早く帰っても、Aさんは寝るまで延々スマホのゲームをしており、自分はそんなAさんを軽蔑の目で見ながら、ただ不健康に酒を飲んでいた。

あの頃、自分はストレスでいっぱいの状態だった。

不本意な形で連載を打ち切られ、次の仕事がなかなか決まらなかった。
いじめグループが原因で子供の習いごとの教室を変えたのだが、新しい教室では保護者の負担が格段に大きくなった。

そのストレスのためか、心の病気が重くなり、その病気の症状がまたストレスを生みだした。

小康状態だったうつ病が悪化した。良くないと思いながら、お酒を毎晩飲むのがやめられない。体重は増える一方だし、このままアルコール依存症になったらどうしようと不安で仕方がない。

そしてお酒を飲むとほぼ必ず、摂食障害の症状が出ていた。そのことをうつの治療のために通っていたメンタルクリニックの主治医にも、家族にも友達にも、誰にも言えなかった。

とにかく、毎日やらなきゃいけないことを回すのがやっとだった。

早く仕事が決まるように、営業をかけ続けなければいけない。この期間は色んな所に企画を渡して直しての繰り返しなので、連載中と忙しさは変わらないのにお金は一円ももらえない。
そして家庭の方では日常の家事に加えて、片道30分の子供の習いごとの送り迎えが週に4回。休日にはしょっちゅう大会もある。
子供の習いごとに関しては自分がやらせたくて始めたため、Aさんは協力してくれない。じっとしていることが苦手なAさんは、大会の待ち時間が苦痛だからと行きたがらないため、県外の会場への送り迎えも自分が一人で車を運転して連れて行った。

《事件》が起きたのは、往復4時間かけて県外の大会に子供を連れて行って、帰ってきた日の夜だった。
ここしばらく、Aさんの様子がおかしいのを不審に感じていた。問い詰めたことで、Aさんが自分との間の重大な約束を破っていたことが分かった。

うつ病の自分は、離婚するよりもまず、死にたいと思った。
けれど子供が3人もいるので死ねない。死にたいのに死ねない。

寝室にこもって、ずっと泣いていた。その日は一晩中眠れなかった。
Aさんは明日仕事だからと普通に自分の隣で寝ていて、この人さすがだなと感心するとともに、死んでくれないかなと思った。