どうにもならない

どうにもならない人のライフハック

足りない親子が足りないなりに《普通》に近い生活をする方法(導入編)

このブログを読んでおられる察しの良い方は、自分の夫のYさんのことを「もしかしてアスペルガーかも」と思われたのではないだろうか。

Yさんは空気を読むことが苦手で、人との距離感がちょっと変だ。自分から見れば突飛な(しかしYさんにとっては必然性のある)行動を取ることが多く、様々なことにこだわる。匂いや感触に敏感で、自分が作った料理も変わった香りがすれば「臭い」と言い、服をプレゼントすると「肌触りが何となく嫌」と言って着ない。

自分とYさんの間には子供が三人いるのだが、長男である息子は小さい頃からこだわりが強く、育てるのになかなか苦労した。

二歳の頃、外出の時は車の鍵と期限切れのクレジットカードを必ず持ちたがり、持たせないと地面にひっくり返って暴れた。

三歳児健診で「言葉が出るのが遅い」と言われ、市のセンターで詳しく診てもらうことになった。そしてここで初めて自閉症スペクトラム(※現在、アスペルガー自閉症スペクトラムに統合されている)の可能性があります」と言われた。

幼稚園は息子にとって、不安がいっぱいの場所だった。次に何をするか分からないと不安な息子のために、担任の先生はホワイトボードにその日のスケジュールを書くなど、特別な配慮をしてくれた。みんなと同じじゃないと不安な息子のために、天気の悪い日は長靴とスニーカーの両方を持って行き、長靴で来ている子の方が多ければ長靴を、そうでなければスニーカーを履かせるようにした。

息子が年中に上がる時、年子である長女が入園することになり、体験入園が行われた。息子を連れて、0歳の次女をおんぶして、息子と長女と自分の三人分のお弁当を用意して参加した。息子はお弁当の時間に、「カンガルー組(体験入園のために作られたクラス)の皆さん、『いただきます』をしましょう」と言われ、「僕はカンガルー組じゃない!」とパニックを起こして暴れた。早起きして作ったお弁当は、床にばら撒かれた。

他のお母さんに手伝ってもらって床に落ちたおかずを拾いながら、涙が止まらなくなった。この先も自分は、息子を育てるのに大変な思いをし続けるのだろう。息子は発達障害で、それは病気ではないから、一生治らないのだ。

発達障害のある人を選んで結婚して、息子を生んだのは自分だから、それは受け入れなくてはいけない。だけど下にもう二人の子供がいて、仕事もしていた自分にとっては、息子の世話をする負担は大きかった。

小学校に上がる前、息子は自閉症スペクトラムです」と、はっきりした診断を受けた。そして小学校に上がると、頻繁にいじめられるようになった。息子は空気を読むということができないし、受け答えが《普通の子》とは違う。いじめのターゲットになりやすいタイプだ。三年生くらいまで、先生に相談していじめが止んでも、今度は別の子がいじめ始める、という断続的ないじめが繰り返された。自分はトラブルが起きるたびに、何度も学校に足を運んだ。

高学年になると、周囲の子も成長したのか、それまでのようないじめはなくなり、息子は友達と遊ぶようになった。ちょっと変わっている息子を受け入れてくれる、良い友達に恵まれた。延々と続く息子のゲームの話に付き合ってくれる友達。自由帳に書いた息子の漫画を面白がって読んでくれる友達の存在が、本当にありがたかった。息子も友達とやり取りをするうちに、少しずつではあるが「相手が今、どう思っているか」を感じ取りながら人と接することができるようになってきた。

しかしこの頃から、息子の、もう一つの困った側面が出てきた。

提出しなければならないプリントをランドセルに入れたまま、うっかり親に渡し忘れる。

片づけが出来ず、机の上に教科書やノート、プリント類を積み重ねていくので、机の上がぐちゃぐちゃで、大事なものがすぐ行方不明になる。

異常なまでにゲームに熱中し、宿題をするのを忘れる、というような、今までとは違う《困ったこと》が起こり始めた。

ところで自分は、以前このブログでも書いたが、元ゴミ屋敷の住人である。

大学生の頃、自分は初めての一人暮らしを始めた。実家にいた時から片付けも掃除も苦手だったのだが、一人で暮らしていると誰も注意してくれる人がいないので、部屋の中は凄いことになっていた。

本棚の中で野良猫が6匹の子猫を産み、猫のトイレの砂が部屋のあちこちに落ちていて、台所では何かが腐っているし、床の上は脱いだ服と漫画本とコンビニ弁当の空き容器などのゴミで足の踏み場が無かった(その後、結婚して子供が生まれたことで、ゴミ屋敷の住人は少しだけマシな人間になる。子供は床に落ちているホコリをつまんで食べたりするので、掃除が必須になったのだ。換気扇の油汚れは一年に二回しか掃除しないし、洗面台の鏡は常に曇っていて、サッシ窓のレールのところに死んだ虫が挟まったままになっているが、一日か二日に一度、部屋に掃除機をかけることだけは出来るようになった)

そしてさらに、自分は異常に忘れ物が多く、また、なぜか宿題を済ませることが出来ない子供だった。忘れ物に関してはうっかりだから仕方ないが、宿題は問題が解けないわけではなく、とにかく「出来ない」のだ。小学校の担任は厳しい先生だったので相当叱られたが、何度強く叱られても、自分は宿題が出来なかった。

この傾向は中学くらいには徐々に治まっていったが、大人になってもうっかりミスは多いし、計画的に物事を進めるのは苦手だ。

ここまで読んで、察しの良い方は、自分のことを「もしかしてADHDかも」と思われたのではないだろうか。

片づけが苦手で忘れっぽく、計画的に物事を進められず、何ごとも先延ばしにする。この傾向はADHDではないかと、自分も考えている。実際、セルフチェックをすると「病院で診断を受けた方がいい」という結果になる。なので自分は大人のADHD向けの本を読み、そこに書いてあった様々な対処法を実践することで、どうにか育児と家事と仕事を回している。

そして息子の話に戻るが、息子が6年生になった時、担任の先生に息子について「忘れ物が多く、片づけが苦手で困っている」と相談すると、「中学に上がる前に、もう一度診断を受けた方が良いかもしれません」と勧められた。

そして小6の夏、息子はアスペルガーであり、さらにADHDでもある」と、両親のハイブリッドであるという診断をされたのだった。

今まで、「息子が苦労しているのは夫のYさんの遺伝のせい」と思っていたが、思えば自分もいじめられっ子だったし、受け答えのピントが外れているタイプだった。そして忘れ物や片づけができないことに関しては、大人になって色んなスキルを身につけて克服するまでは、息子より格段に足りない子だった。

自分は発達障害の当事者として、そして発達障害の子供を持つ親として、発達障害によって起こる様々な問題に立ち向かわなくてはいけなくなったのだ――。【続く】