どうにもならない

どうにもならない人のライフハック

どうにかなりたい人に伝えたいいくつかのこと

「どうにもならない」というタイトルで始めたこのブログだが、自分はどうにもならない人間なりに、「どうにかなりたい」と思って生きてきた。

大学生になって一人暮らしを始めた途端、部屋がリアルにゴミ屋敷となり、破けた網戸から入り込んだ野良猫が本棚で子猫を生んだ時。

学校に行かなくても誰にも怒られないのをいいことに、講義をさぼって朝から晩までゲームをしてはその合間にレンタルビデオ屋で借りたホラー映画を観まくって過ごし、卒論の時期になってやっと久々に大学の研究室を訪ねたら教授から「君って卒業するの?」と驚かれた時。

運良くギャグ漫画でデビューできたもののアンケートの結果が最下位で雑誌を首になり、夜は再デビューを目指して新しいネームを描きながら、昼は工場のラインでコーヒーシュガーの向きと数を揃えるアルバイトをしていて、隣のフィリピン人のお姉さんに「フィリピンの葬式はすっごい派手よー」と唐突に話しかけられてコーヒーシュガーの向きを揃え損ねた時。

「このままではだめになる」、「どうにかしないといけない」と強く思った。

そして現在、自分はゴミ屋敷じゃない程度には片づいた家で暮らし、留年することなく大学を卒業して就職した上に結婚して子供まで作り、さらに漫画原作者として十年以上仕事を続けてこれている。

それでも、人様と比べると多くの部分がどうにもならないのだが、今もどうにかなりたいと思い続けているし、そう思って行動して、どうにかできたこともある。

この新しく作った「どうにかなりたい」というカテゴリーでは、自分と同じ「どうにもならない」人間だけど「どうにかなりたい」と思っている読者の方に、「面倒だけど、ちょっとどうにかなるために行動してみよう」という後押しができるような記事を書けたらと思っている。

多少自分語りがうざいカテゴリーになるかとは思いますが、なるべく楽しく読んでいただけるよう努力はしますので、どうかよろしくお付き合いください。

団結した仲良しクラスの中ですら落ちこぼれるために必要なたった一つのこと

自分が高校3年生の時のクラスは団結力があり、球技大会や文化祭でみんなで盛り上がるような素敵なクラスだった。いじめや仲間外れもなく、自分のような者でも明るい高校生活を送ることができた。お弁当を食べるグループにも入れてもらえて、学校帰りに友達とカラオケに行ったりと、まるで普通の高校生になれたようで嬉しかった。

文化祭が終わって数日経った頃、クラスの人気者の男子が「打ち上げしようぜ」と言い出して、クラス全員参加でみんなでボーリングをしに行くことになった。自分はボーリングをするのはその時が初めてだった。

人気者の男子が仕切ってくれて、クラスをいくつかのチームに分けて対抗戦をすることになった。ボーリングをしたことがないと正直に話すと、同じチームの男子が投げ方を教えてくれた。その通りに投げたつもりだったが、1投目も2投目もガーター(という言葉をこの時初めて知った)だった。

同じチームの女子達が明るく「ドンマイ!」と言ってくれて、「ごめんごめん」と苦笑いしながら席に戻る。しばらくしてまた投げる順番が回ってきて、今度こそ真っ直ぐに投げたつもりだったが、3投目と4投目もガーターだった。女子達の「ドンマイ」の声のトーンが少し落ちた気がした。

自分は結局、この時に20連続ガーターという奇跡のスコアを叩き出した。7投目あたりからは投げ終わったあと、どんな顔で振り返ってチームのみんなの方に戻ればいいのか分からなかった。9投目を投げる頃には、チームのみんなが自分が投げる時だけ無言になっていた。うちのチームはぶっちぎりの最下位だった。

ボーリングのあと、みんなで焼肉屋に行ったが、何を食べても味がしなかった。その後、親に教えてもらって近所のボーリング場で練習してたまにガーター以外を取ることもできるようになったが、あれ以来クラスメイトからボーリングに誘われることのないまま、卒業の日を迎えた。

秋田犬を飼う人がしてはいけないたった一つのこと

子供の頃、飼っていた犬が自動車にはねられる瞬間を 見てしまったことがある。

実家で飼っていたのは秋田犬という種類の大型犬で力が強く、 自分が散歩をさせていた時、うっかり引き綱を離してしまった。 犬は結構なバカ犬だったので呼んでも全く戻って来ず、 それどころか車がガンガン走っている6車線の道路を ダッシュで渡って逃げようとした。 そして5車線目で乗用車にはねられ、7メートル飛んだ。

飛んだ後、犬は車道をゴロゴロと転がり、そしてなぜか 普通に起き上がり、またダッシュで逃げて行った。 急いで家に帰って父に報告すると、 「犬は死ぬ時は姿を隠すもんだ。多分もう助からないんだろう」 と、悲しいことを言われた。

それから、家族総出で懐中電灯を片手に犬の死体を探した。 しかしなかなか見つからない。 母が「あんた達は先に帰って夕飯食べてなさい」と涙目で 言うので、自分は妹達を連れて泣きながら家に帰った。

家に着き、玄関の鍵を開けようとしたその時、 妙にスッキリしたような顔をしたうちの犬が、 元気にこちらに向かって走ってきた。前足に擦り傷が出来ていたが、 普通に走っている。尻尾まで振っている。

とりあえず犬を小屋に繋ぎ、父の所へ行って犬が戻って来たことを話すと、 「いや、きっと内臓はグチャグチャだ」 と、また悲しいことを言われた。

「犬が車にはねられたので診て欲しい」と電話し、急いで 動物病院に向かった。病院に向かう途中も、犬は普通だった。 そして病院に着いた時、医者は犬を見て鼻で笑い、 「秋田犬はねえ、車にはねられたくらいじゃ骨も折れませんよ」と言った。

一応レントゲンも撮ったが、擦り傷以外全く怪我は無かった。 そして犬は何事も無かったように普通に夕飯を食い、その後12年生きた。

誰も傷つけない正しい粗大ごみの捨て方

夫と結婚してしばらくは、1DKのアパートに二人で暮らしていた。二人とも結婚するまで一人暮らしをしていたので、家電や家具が二つずつあるという状況で、引っ越し前になるべくどちらかを処分したのだが、それでもいくつかは残ってしまった。

しかし狭い部屋なので置くところがない。本棚は重ねることができたが、ガステーブルは重ねられず、とりあえずシートで包んでアパートのベランダに置くことにした。

2か月も経つとガステーブルは錆びて完全にごみになり、このままだとベランダに錆が移りそうなので、さすがに粗大ごみに出すことになった。

区役所に申し込みをして粗大ごみシールを買い、指定された日の朝にごみ捨て場に運ぼうとしたら、たまたま会社が休みで家にいた夫が「そんなの抱えていくのは大変でしょう。そのままベランダから吊るして降ろしたらいいのに」と提案してきた。当時住んでいた部屋は2階である。

総合スーパーのインテリア売場で家具を運ぶことを生業としていた自分にとってはそんなに重い物でもないし、何より面倒だったので必要ないと言ったが、夫はどうしても自分の考えた方法を試したいと言う。夫はロケットを飛ばしたり粉塵爆発を起こしたり(←自分は手伝わなかったが結局やった)

ロケットを飛ばすために必要なたった一つのこと - どうにもならない

した時と同じ、変に輝きを帯びた目をしており、説得するのが面倒だったので任せることにした。

夫は嬉々として100円均一のプラスチックのS字フックをガステーブルに引っ掛け、それにビニール紐を結んでクレーンのようにして降ろし始めた。自分は関わりたくなかったので、部屋でコーヒー牛乳を飲みながら見守っていた。一人でやるには大変な作業だったらしく、夫が「見てないで手伝ってよ」とこちら振り向いた瞬間、S字フックが折れ、ガステーブルは地上2mから落下した。

トッププレートが歪んで五徳がはまらなくなったガステーブルをごみ捨て場に運びながら、夫は「あなたが下で受け止めてくれたら上手くいったのに」と文句を言っていた。

それをしていたら間違いなく自分の頭を直撃していたんだが、どうしてこの人には分からないんだろう。

10年続くいじめスパイラルから抜け出す方法

小学4年生の時、Tさんという女の子と同じクラスになった。

Tさんは背は小さいが活発で目立つ女の子で、身長順に並ぶ時は、同じく背の小さい自分の前に並んでいた。全く活発でなく目立たない自分は、初対面から「なんであんたが私の後ろなの」と言われ、何が気に障ったのか、それから彼女のいじめのターゲットとなった。

Tさんのいじめは独特で、なぜだかいじめの対象と、友達のように付き合う。実際、彼女は友達だと思っていたのかもしれない。放課後、遊びに誘われるようになり、遊んでいる間はTさんの言いなりにならなくてはいけなかった。

Tさんはわがままで、遊びの内容はTさんが決める。そしてTさんが止めると言うまで続く。逆らうと怒り出すので面倒な子だった。

ある日、足の速いTさんと二人きりで延々追いかけっこをさせられ、あんまり嫌になったので途中で帰った。自分も怒る時は怒るのだ。

すると翌日、Tさんは学校でクラスの女子達に「あの子、変な笑い方をするんだよ」と自分の笑い方を真似して見せた。Tさんは人を笑わせるのが上手で、女子達はそれから、自分の笑い方を馬鹿にして真似するようになった。友達のいない自分に、味方はいなかった。

Tさんに逆らうと嫌な目に遭うと分かってからは、なるべく彼女に従うようにした。Tさんの好きなジブリのアニメのアテレコ遊び(ビデオを観ながら声優と同じタイミングでセリフを言う)に延々と付き合わされた。トトロを探しに行こうと誘われ、藪の中を蚊に刺されながら暗くなるまで歩き回った。魔女になる修業をしようと言い出し、二人で箒に跨ってちょっとでも体が浮くまで「飛べ」と念じ続けた。どれもあまり楽しくなかった。

Tさんは今思えば少しおかしな女の子で、自分にだけそのおかしな面を見せていたのだと思う。自分の学校は6年生までクラス替えがなく、Tさんとの付き合いは続いた。

卒業後、Tさんは自分と同じ中学に進み、残念ながら同じクラスになった。中学生になって、Tさんのいじめは少し様相を変えた。自分のことを友達ではなく、親友だと言うようになった。

Tさんは家庭環境が複雑な子で、よく親についての悩みを打ち明けられた。

「こういうこと話せるの、あんただけだから」とTさんは言った。

ごく普通の家庭に育った自分は大したアドバイスはできなかったが、ただTさんの話を聞いていた。それが親友の役目だと思った。

Tさんに誘われるまま同じ部活に入り、登下校も一緒にするようになった。Tさんは時々わがままに振る舞うこともあったが、小学生の時のような幼稚さはなくなり、この頃には一緒にいることが苦ではなくなっていた。

だが、それはほんの短い間のことだった。

ある日、自分が家にあった『飛べ!ぼくのマンタ』という本を読んでイトマキエイがトビウオのように水面を飛ぶことに驚き、学校でその話をTさんにした。Tさんは「あんな大きなものが飛ぶはずがない」と全く信じようとしなかった。それで放課後、Tさんの家に『飛べ!ぼくのマンタ』(皮肉にもいじめられっこの少年がイトマキエイの飛ぶ姿をカリブ海まで見に行って勇気をもらうという内容だった)を持って行って写真を見せ、「本当だったでしょう」と言った。Tさんは「本当だったんだ」と言いながら暗い目で写真を見つめていた。

翌朝、Tさんは待ち合わせ場所に来なかった。そしてクラスの同じ部活の女子達が、口をきいてくれなくなった。無視されたまま部活動を終えて帰り、翌日には無視だけでなく、廊下でわざと体をぶつけられたり、聞こえるように悪口を言われるようになった。

そんなことが2週間続き、自分は学校に行けなくなり、学校に行ったふりをして(以前記事に書いたように親に言って学校を休むことができなかった)

中学時代の自分が登校拒否したいくつかの理由 - どうにもならない

公園や図書館で半日過ごして帰るようになった。担任から電話がきて、学校に行っていないことは1週間も経たずに親にばれた。理由を問い詰められ、同じ部活の人達からいじめられていると話すと、担任はすぐに対処してくれて、翌日には嫌がらせをしていた面々から謝られた。

だが、Tさんは謝らなかった。

Tさんは「あいつら最低だね」と嫌がらせをしていた子達に対して怒りをあらわにし、「私があいつらから、あんたを守るからね」と言った。

Tさんの表情に後ろめたそうなところは一切なく、Tさんの中で、自分は本当に《親友》なのだと分かった。

おそらく自分より頭がおかしいのに、それを周囲に気づかせずに相変わらず女子の中心にいるTさんが、本当に怖かった。

幸いなことに、Tさんとは中学2年生で別のクラスになることができた。学年が変わってから、自分は必死で新しい友達を作った。そうしなければTさんから逃げられないという切実な動機があった。失敗もしたが

たった一日で友達を失う方法 - どうにもならない

なんとか奇跡的に自分と同程度の頭のおかしい友達が二人ほどでき、一緒に気持ち悪い詩を書いたり、手首に針を刺し合ったりするようになった。そんな普通じゃない友達だが、Tさんのように怖くはなかったし、付き合っていて心地良かった。彼女達とはいっぱい一緒に笑うことができた。

新しい友達のおかげで、ある程度Tさんと距離を置くことはできたが、部活は同じだったので完全に付き合いは切れなかった。時々、遊びに誘われて、そのたびに緊張しながら一緒に過ごした。

高校は、Tさんがあまり勉強ができないタイプだったおかげで別のところに入れたが、それでもやっぱり、時々遊びに誘われた。全然好みでない映画に付き合わされて、同じ学校の友達の悪口や、親の愚痴を聞かされた。たまにしか会わないせいか、Tさんに対して昔ほどの恐怖は感じなかったが、それでもまだ、誘いを断ることができないでいた。

自分がTさんと完全に決別できたのは、大学生になってからだ。

Tさんは高校を出てから、関東にある看護学校に進んだ。自分はよく知らないが、有名な医大に併設された素晴らしい看護学校なのだと、わざわざ電話をかけてきて教えてくれた。Tさんは医大のテニスサークルに入り、近々サークルの医学部の先輩と付き合うことになりそうだと言った。

「その先輩、竹内さんっていうんだけど、竹だから《バンブー》ってみんなから呼ばれてるんだ

Tさんはそのあと、先輩について「BMWに乗っている」というようなことをさらに自慢をしようとしたのだが、自分は《バンブー》で大笑いしていて、ほとんど聞けなかった。Tさんは怒って電話を切った。

《バンブー》とみんなから呼ばれる男を好きになったTさんは、その瞬間から自分の中で、死ぬほどかっこ悪くて、つまらない人になった。全く怖くなくなった。

Tさんからはその後、成人してから一度だけ電話が来たが、「《バンブー》どうしてる?」と聞いたらガチャ切りされ、以来交流がない。